つくづく思う
自分は本当に運が良い
これまで多くの選択をし、人に恵まれ、今KULでこうしてラクロスができている
そのどれか一つでも違っていたら今の自分はないと思うと、ゾッとする
この運は本当に偶然であり、幸せなことだと思う
勝負は時の運なんて言葉があるように、
勝負の世界にも運というものは存在する
勝負の場に立つ人間が、練習を積んできたのも勝ちたいと思ってるのも当然のことで、それでも必ずどちらかは負ける
練習の量や質に差があったとしても、その差がそのまま勝敗を分けるわけではない
それまで何度勝ってきたとしても、それが次の勝利の保証にはならない
そもそも、練習を積んだとしても、勝負の場に立つことすら叶わなくなることもある
運とかいう理不尽であやふやなものが存在して、練習するのが割に合わないようにも思える
では、なぜ練習するのか
いや、だからこそ練習するのだと思う
この運を偶然ではなく確固たるものに、自分のものにするために
勝ったとしても驕らず運が良かっただけと思えるように
負けたとしても翳りなく運が悪かっただけと思えるように
いつ終わってもいいと思っていられるように
その過程こそが勝負の醍醐味であり、自分にとっての財産となり、味わう勝敗を格別なものにしてくれるのだと思う
さて、運良くKULでラクロスができるのも残り僅か
ここから先は負けたら終わり
純粋な勝負の世界
気負いすぎることはない、いつも通り
負けていい勝負なんて、これまでただの一度もなかった
費やしてきた時間が、体に染み付いた感覚が、自分のせいで負けた悔しさが、確かに自分の中で今を支えている
確固たる運でもって、勝ちに行く
WRITER:道浦真明