
#日本一への距離
みなさん、お疲れさまです。34期DMFリーダーの菩薩です。
エモーションを書く時がくるとはって感じです。4年間早かったですね。人のエモーションほぼ読まないので正直勝手がわからないですが、頑張ります。今までこんな真面目な文章を書く機会はなかったのですが今回だけは真面目な文章を書こうと思います。よろしくお願いします。
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今、何日だっけ。ああそうか、10月31日か。ラクロスをしなくなってからもうずいぶん長く感じる。ラクロスを止めたのはいつ?あれは10月12日。
この日だって日本一を取れると本気で信じていた。けれど、現実はそんなに甘くなくて、先制点を取られて、負け越した後もみるみる内に時間は過ぎていった。そして残り時間は一瞬で過ぎていき、4対2で敗北して俺らはシーズンを終えた。涙は、流れなかった。
2023年。日本一を目指してKULに入ってきた。陸上部で全国インターハイに出場できなかったこともあって、全国大会への思いは人並みはずれてあったと思う。小学校の頃にラクロスをちょっと知っていたのもあって、これなら自分でもやっていけるかもしれないと思ってラクロス部に入部した。けれど、現実はそんなに甘くなかった。当時OF志望の僕にとっては、オーロラやマリンなど上手いやつはたくさんいて、僕はギリギリ試合に出れるかどうかの位置付けだった。
それでも頑張って、
17番を引き継ぎたいと決めた頃から、
アートさんに期待され、鍛えられ、続けた日々だったが、壁打ち課題を必死にクリアして出場したウィンターではクロスチェックで紐のアウトだった。
申し訳ないという言葉じゃ言い表せないほどの悲壮感だった。ウィンターが終わった後、アートさんには俺が頑張らなくちゃいけないというようなことを言われた。これからは、なんとしても自分が上手くなっていかなきゃいけないと思った。
そして2回生になった。自分がAチームに入るにはDMFしかなかったから、僕はDMFであることを選んだ。
24KULが日本一にどれほど近い存在であるのか、自分は全くわからなかったが、とにかく、DMFとして自分はうまくならなくちゃいけないという思いがあった。僕には陸上部で鍛えた足の速さがあったから、きいちさんやニックさんを一気にとびこえて、僕がDMF一枚目になるんだという気持ちで練習に臨んでいた。その甲斐あって、実力はみるみるうちに伸びていった。時にはユースに落ち、時にはゾーンDFから排除される日々だったが、Aチーム固定になるのを目指していたあの日々が1番成長した気がする。合宿後のABわけでやっとA固定になったのは今でも記憶に残るほど嬉しかった。
けれど、結局24シーズンは4位で終わってしまった。自分がもっと頑張れば上にいけたのかもしれないと当時は思ったが、今にして思えばあの程度の実力でそんなことをいうなんてあまりにおこがましいだろう。そして自分に足りないものを見つめきれないまま25シーズンが始まっていった。
25シーズンは当初自分が思っていたよりも圧倒的に強いチームだった。何が強いかって実力もあったが、それより日本一になるんだという気概がひしひしと4回生から伝わるようだった。自分が3回生になって4回生に近づいたからかもしれないが、ともかく熱意はそれまで以上に感じていた。
そんな25シーズンの出だしはやはり順調だった。2月末の関東遠征は24全学準優勝の明学や結果的に25シーズンの覇者となった早稲田に勝利し、その後もいくつか黒星をつけたものの、リーグ戦前には日本一を本当に取れるのではないかという予感が徐々に確固たるものになっていった。
しかし、リーグ戦は自分が思っていたほど甘くなかった。1位通過こそしたが、KGにはボロ負けしたし阪大には引き分け、初戦の立命も危うい試合内容だった。どこかで一歩間違えればFINALに進めていなかったかもしれないと思うと恐ろしいものがある。
それでもとにかく1位通過はできたし、FINAL決勝では阪大にリベンジもできた。ようやく全国に進めたわけである。今年は日本一になれると部員だけでなく、OBもかつてないほどに思っていただろう。そして迎えた全学一回戦。
負け。岡山大学に。あっけない幕切れだった。
こんなところで負けるなんて誰が思っていただろう。OBだけじゃなく関西の大学からもお前ら何してんの?って声が痛烈に聞こえてくるようだった。過信などではなく、前評判では明らかに京大が優勢だったはずである。それは岡山大学側も思っていただろう。
けど負けた。この時、自分は肌で感じた。勝つには実力だけではいけないんだと。月並みな言葉になるが、強い方が勝つのではなく勝った方が強いんだと本当に思い知らされた。
後輩みんなは、今はもっと実力をつけなきゃと思ってると思う。それは間違ってないし今はそのフェーズだとも思う。けど、実力があるからって勝つわけじゃない。負けるのにはいろいろな要因があるだろう。
岡山大学戦でいえば、流れが悪くなって明らかにあの時みんな焦っていたし、普段なら決まるようなシュートも外れていた。じゃあどうすればいいのか。焦らないようにすればいいのか。それとも焦ってもシュートを決めれるようにすればいいのか。焦りを抑えてくれる絶対的エースが必要なのか。そもそもその流れを変える戦術を一つ持つべきなのか。選択肢はたくさんあるがどれもただ言われたことを盲目的に練習しているだけじゃできない方法ばかりだろう。そこに明確な答えがあるわけではないが、ここを考え、悩むことで日本一に近づいていけるのではないかと思う。
そうして25シーズンは終わった。我ら34期の26シーズンが始まることとなる。
苦しい1年だった。
主将、幹部陣、OFリーダーDFリーダーらの苦しみに比べれば自分がこんなことを言う資格はないのかもしれないがそれでも俺は俺なりに苦しかった。
試合に勝てない。実力が足りない。後輩をどう指導し、起用すればいいかわからない。俺も仲間も思ったより成長しない。
苦しみの原因はたくさんあるけれど、俺はそれらに全くと言っていいほど向き合ってこなかった。向き合うことの苦しみから逃げたのだ。4位で終わるのは妥当な結果だったのかもしれない。
けど、もしこの苦しみに向き合うことができる心の強い人がいたら。ただひたすらに努力できる人や、他人に干渉することができる人、日本一に必要なことを必死に考え、KULが日本一を目指すのにふさわしくない環境を根本から変えられる人がいたら。そしてそんな人が何人も何人もいたら。日本一はすぐそこにあるのだと思う。
日本一。4年間それなりに本気で目指してみても手が届きそうになったことすらない。
でも、遥か遠くにありそうでも、KULにとって日本一はきっと近い目標だと俺は信じている。
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以上です。駄文でした。一から長文を書くのって難しい。藤岡凛太みたいなかっこいい文章を書きたかったけど思うようにいかなかったです。人格や経験が違いすぎるので当たり前ですけど。
以下遅ればせながら感謝の言葉を綴らせてもらおうと思います。
両親へ
ありがとう。これに尽きる。バイトもしてないのにいろいろ支援してくれて本当にありがとうございました。もうちょっと楽しませたかった。
コーチさん達へ
生意気だったけどそれでもいろいろ教えてくださってありがとうございました。特にアートさんとマイティーさんには本当にお世話になりました。また、Frコーチは応援してるよとかたまにFreshman LINEに流れてくると嬉しい気持ちになります。いつも応援ありがとうございました。結果で恩返ししたかったです。
同期へ
いつもありがとう。みんながいるのさすがに楽しかった。引退してめっきり会ってないやつ多いけどまた会おう。
先輩へ
いつも気にかけてくれてありがとうございました。一緒にやるラクロス楽しかったです。特にDMF直属の先輩方は自分が現役の時なんてやつが後輩にいるんやと思ったかもしれませんが、それでも面倒見てくれてありがとうございました。
後輩へ
一緒にラクロスやってくれてありがとう。26シーズンお前らがいたからやってこれました。DMFの後輩にはこんな情けないリーダーで申し訳なかった。Aでやってたやつなんて無茶苦茶な要求されてたけどよく頑張ってついてきてくれた。本当にありがとう。
あと見てないかもしれんけど徳岡先生。
引退試合になっちゃったけどきてくれてありがとう。連絡もとってなかったのに小学校の先生がきてくれるなんて幸せだと思います。徳岡先生がいなかったらラクロス知らなかっただろうし感謝してます。また直接お礼言わせてください。
他にも、OBの方々や藤田教授などたくさんの人に支えられてこれまでやってこれました。本当にありがとうございました。
以上でこのブログを終えたいと思います。遅れてしまいすみませんでした。長文でしたが読んでくれた方はありがとうございました。
2026/10/31 #17 国土将也

