僕がこのラクロス部と出会い、入部したのはいろいろな偶然が重なって起こったことだと思っています。もともと強い興味があったわけではなく、この団体と出会ったのはすでに別のサークルに入った後でした。しかし、この部活と関わってからはここで4年間を過ごすことになるのだろうという予感めいたものがありました。また、実際に一生懸命練習に打ち込む先輩方の姿を見ていたら自然と憧れを持ち、入部を決意しました。
あっという間だね、と周りの人は言うけれど、僕にとってはものすごく長い4年間だったなと思います。
1番苦しかったのはやはり3回生の1年間でした。ATは4回生が2人しかいなかったから、そのせいで負けたのだと言わせないように、自分がレベルアップして試合で活躍しないといけないと意気込み臨んだシーズンでした。しかし、シーズンが進むにつれ点はとれなくなり、試合に出る時間も減っていき、ついには後輩にスタメンをとられるという始末でした。
同期だけでなく後輩も試合に出て、責任あるポジションを担っている傍らで、自分は試合に1度か2度あるのかどうかも分からないエキストラのために準備していて、とても情けなく思っていたことを覚えています。
両親が見に来たリーグ戦の関大との試合も、出たのは2回のフラッグが飛んだ後だけ。試合後、きっとなんて僕に声をかけたら良いのか分からないで、慎重に選ばれたポジティブな言葉を両親から受け取ったとき、かえって辛い気持ちになりました。
多くのものを我慢してまで過ごしてきた期間の成果が、ラクロスの競技としてしか表現できないというもどかしさ、悔しさ。
試合に勝っても嬉しくない、負けても悔しくない、そんな部外者のような感覚で淡淡とシーズンを消費していきました。
チームが思うように勝てず不安定な中だったので、もっとこうしたらいいのに、とか組織のこういうところが悪いよね、など僕自身思うこともありました。ただ、実際にそうなのか、それとも自分が活躍できていないから、言い訳としてそう思うのかよく分かりませんでした。いずれにせよ、自分がもっとうまくなって活躍できるようになったら、余裕ができて気にならなくなるだろうと考えていました。
そして、これからの身の振り方を考えたときに、「実力はないけど周りのことを考えて行動できる選手」と「よくわからないけど試合で点を取って活躍している選手」のどちらの役割がチームから求められているだろうかと想像しました。もちろんこれは極端な二択で、トレードオフですらないことは分かっていながら、何が1番必要とされているのか、それを考えようとしました。そして当時の僕は後者と結論づけ、実力をつけてから周りに発信できる選手になればいいと思い、外の問題は気にすることなく自分に矢印を向け続けようと決意しました。
4回生になれば当然ポジションリーダーはやるものだと思っていた僕にとって、後輩にその役をやってもらうということは情けない話でした。ただ自身の実力と先述のような姿勢を省みて、その資格はないと自覚していました。年上の平部員をもまとめなければいけないというのは大変だったと思うけど、ここまで頑張ってくれてありがとうぶっちゃん。
ラストイヤーが始まった1月、意識の面で最大の転機が訪れました。それは「たくさんミスしてチームに迷惑をかけてもその分良いプレーをすればよい」と考えられるようになったことです。今までミスしないことを前提にどれだけプラスを持ち帰れるかという考えでプレーしていましたが、23シーズンを通じての学びから考えが変わりました。この考えが功を奏したのか、今年が1番点に絡めているし、やっていて面白いなと感じられるようになってきました。
先日の壮行会では、関大戦ぶりに家族が試合を見に来ました。家族の前で点を取れたこと、チームが試合に勝ったこと、嬉しそうな家族の顔を見られたことは、関大戦の日のことを考えれば見違えるほど幸せなことでした。
試合にたくさん出られること、自分が点を取るという形でチームの勝ちに貢献できること、点をとってくれそうだと活躍を期待されること、成長を先輩やコーチさんから褒めてもらえること。今まで欲しくて欲しくてたまらなかった経験がやっと少しずつ手に入るようになり、それに呼応するように部活以外のいろいろな事が満足のいく形でまとまっていって全体的にピュアな幸せっぽいものに近づいていく感覚がしました。
一方、その裏では自分のことに集中するあまり、周囲に対して配慮を欠いているような気がしました。そしてそのことに危機感を募らせてもいました。同期や後輩の幹部たちが自分の競技力の向上だけでなくOF全体やDF全体、チームビルディングなどにも力をいれて行動している中、自分だけ矢印を内側に向けていていいのかと思ったのです。
石川大地が離脱したとき、彼の存在の大きさに改めて気がつきました。自分から見えていなかった部分での行動も含めて多くの場面でチームを支えていたことを痛感しました。それと同時に、彼をそこまで動かすものやその先に彼が求めているものは何だろうかということを改めて考え直しました。正確に言うなら、試合で活躍して、期待もされて、そのうえで公私ともに順風満帆に見える彼がそこまで頑張って実現しようとしているものは何かということです。彼とはよくそういう話をするので、答えに近いものには辿り着いているつもりです。またその答えは僕自身にとっても価値を感じられるものです。ただ大事なことは、今の状態の僕では、きっとそれに近づけないままあっさりと引退してしまうだろうということです。4年間ラクロスをやってきて良かったと思えるために、これは現時点で欠けている大きなピースのような気がします。これからの自分が後悔しないためにも、次のステップにいかなければいけません。彼の生き様に、1歩でも多く近づかなければいけません。
3年の時を経て、またやっと原点に戻ってきたような気がします。
そしてここからの行動とその収獲こそが、3年前にした大きな買い物に期待したことなのだろうと思います。
最高の納得を求めて、わくわくしながら最後まで走りきりたいです。
さて、最後にお世話になった人たちに言葉を伝えたいと思います。
現役部員へ
これまで、一緒に活動してきてくれてありがとう。正規練、自主練、ミーティング、その他の活動など、僕が大変だなと感じているときはきっとみんなも同じように大変なのだろうと思います。そんな中ここまで続けているみんなに、平等にリスペクトの気持ちを持っています。あと少し、一緒に頑張ろう。
先輩方、コーチさんへ
なかなか結果も出せず、先輩方にはたくさん迷惑もかけたと思います。そんな中、あたたかく支えてくださり、本当に感謝しています。厳しい先輩たちのおかげでここまで成長できたし、優しい先輩たちのおかげでここまで続けてこられました。個別のメッセージはここに書くことはせず直接伝えたいと思っているので、ぜひ試合会場やグラウンドでお話しましょう。最後のリーグ戦で、自分の成長した姿を見て欲しいです。
両親へ
応援にわざわざ来てくれていたのに結果を出せない試合が多くて辛い思いをさせたと思います。それでもいつも僕を肯定してくれたおかげで、ここまで続けてこられました。
少し話は遡るけれど、9年間続けていた野球を高校では続けなかったこと、特に父をがっかりさせたことでしょう。京大に入ることなんかよりも高校球児としてユニフォーム姿を見せることの方がよっぽど親孝行だっただろうなと思い、泣くことが未だに何度もあります。色んな思いがあったと思うけれど、それを無理に押しつけず僕の選んだ道を支え続けてくれてありがとう。僕は自分が良いと思った道を選び、全力で生きてきたから微塵の後悔もありません。これまで受けてきた愛情とやさしさを一生かけてゆっくりと返していくつもりです。
最後に、自分へ
これまで、いろいろな辛いことや苦労があったけどよく腐らず続けてきたと思います。1年前の自分が今の自分を見たら少し驚くかもしれません。しかしもう1個、引退したときの自分が今の自分を驚かせて欲しいです。自分の実力はこんなものではないと、22年一緒にいる自分が1番分かっているはずです。
自分の納得する結末に向かって。誰よりも未来の自分に期待して。
2024/8/16 #25 村松 恵斗