このページを開いていただきありがとうございます。
まず初めに、本年度24KULをご支援くださった全ての皆様に深く感謝を申し上げます。自分自身試合に出て活躍する立場から、サポートする立場にシーズン中盤以降回り、本当に多くの人に支えられて自分は試合で行動できていたことを痛感し、その力の大きさを実感しました。本当にありがとうございました。
これから試合があれば気持ちを上げていく文章にするのですが引退ブログになってしまいました。なので、自分石川大地という人間が何を考えラクロス部にいたのかの感情の発露、今年の離脱前後の話、そして関わった人たちへの言葉を順に述べていきたいと思います。引退後ブログなので負の部分も多めですが、受け止めてもらえるところだけ受け止めてください。またここまで好きに表現できる機会なので頭に浮かんできたものをなるべくそのまま書きました、ので長いです。読んで下さる方々のおかげでこの感情も生きていきますので、少しの間お付き合いいただければと存じます。
まずは自分の話を少しさせてください。
「人生の意味を最大化したい」「異なる仲間と感動を共有し分かり合いたい」
私は4年前、2つの目的に向かうためにKULの門を叩いた。
(みなさんはなぜ今その組織にいますか?なんのために?なんのためにそこで生きていますか?)
「人生の意味を最大化したい」
何を言っているのか意味不明だと思う。
何か高い目標に向かって本気で努力し、そこに生じる様々な辛い出来事や葛藤、自分自身の中の相剋の過程を経て、気がつけば自分の中に新たな感情が生まれている。世界を見る新たな視点を経ている。予想外のとんでもない自分になっている。
そんな経験、どこかでしたことはありませんか?
京大に入るまで両親から+1年のチャンスをもらい努力し続け結果を勝ち取った時に自分が感動したのは、「京大合格」というものじゃなくて、その過程で得た世界を見る新たな視点や価値観の広がりを得られたこと、そしてその1年を費やさなければ出会えなかったに違いないかけがえのない仲間であった。
自分はずっとそれが欲しかったから動き続けてきた。だから歩み続けられた。
人生で初めてのラクロスという環境で死ぬほどもがき苦しみ続けた「先」に、絶対面白い何かが待ってると信じて続けてきた。
だから、その過程で起こったことなんて、良いことも、悪いことも全て、
【その先にどんな人生が待っているのかな?】
【どんな自分になっていくのかな?】
を知るための手段すぎない。
良いことはそれ自体に没入して感動しないし、悪いことはそれも全て次につながる意味あるモノだから立ち直るのは早い。周りから見れば良いように言えばいつも冷静、悪いように言えばなんだかこなしがちで淡白に見える冷たい人に見えていたと思う。これが1つ目に持っていたことだ。
「異なる仲間と感動を共有し分かり合いたい」
「異なる価値観、考え方の人が同じ感動のもとに集まり、立場を超えて分かり合う光景は美しい。そのためになら自分はチームの中でどんな立場になったとしても貢献し続けることができる。」これが俺がチームスポーツ、とりわけラクロスに求める感動だ。
みんなは、皆さんは、ラクロスの試合の中でどの「瞬間」が一番心にきますか?
最初の入場シーン?自分が点を取った時?自分が犠牲になって仲間が成功した時?試合終了の瞬間に声援が飛び交う時?人それぞれだと思います。気になります。
自分はやっぱり点が決まって皆で喜ぶとき、試合が終わって勝利を共有するとき。それまでの色んな違いや対立を一瞬でも乗り越えて、分かり合えている「様」が最高に美しいと思っています。これが2つ目に持っていたものです。
話は3年生まで飛びます。
3年次シーズン(リーグ6位・入れ替え戦1点差で残留)が終わってから、仲間の信頼関係、相互リスペクトというものを醸成するのはいかに難しいかということを実感した。これまでの組織規模をこれまでの半分以下の人数で回さなければならなくなり、個々人の負担は増え、互いを思い合いやっている余裕なんてないようだった。それを目の前にして、自分もただ日々やってくる現実をこなすことしかできなかった。今となっては当時のシーズンを責めることなんて自分には到底できない。自分にとっては負けが続き結果が振るわなかったこともそうだが、自分がラクロスに求める感動を何一つ達成できていないことも辛すぎた。
多分この時自分は人生で初めて本当の意味でエゴを出し始めた。もっとこんなチームになったほうが良いよね、こんなチームで勝ちたいよね。自分が動くしかないと思い副将になり、チームとして勝っていく上で必ずベースになると信じていた人と人の関係性構築のための場を何度も設けた。年始mtg(新シーズンに向けてチームの決めごと等を話し合う場)の際は例年と違って考えにくい理念というものの進め方も独断で変えて進めさせてもらい、沢山混乱させて申し訳なかったが、みんなの協力のおかげでなんとか走り切ることができた。
何をそこまでやっていたのかというと
・あなたのことを信頼し、あなたからも信頼できる仲間が溢れる愛溢れるチーム
・技術力や結果を持ちつつも、どこか互いを思いやる行動に欠け、生きづらいチーム
分かりやすくする都合上あえて二元論で語らせてもらうが、どちらがあなたの一歩を踏み出す勇気を与えてくれると思いますか?ということ。【どちらが勝てますか?じゃない。】あなたならどちらのチームに貢献したいと思う?頑張る一歩を踏み出したいと思う?ということです。人間は根底自分のことが1番大事な生き物。自分の肯定感を上げ、自分の人生にプラスの影響を与えてくれる人のためにこそ、利他の精神が働き、共に助け合い、高めあう関係性ができていくという信念が根底にあった。
しかし、自分の性格柄、「こんなふうになればいいな」というイメージはどんどん湧いてくるけれど、そこに至るまでに一歩一歩踏むべき計画を緻密にするのが苦手だった。それから、これまでKULの文化の中になかったことを始めたから、違和感を唱えてくれる仲間もいて、またそれに共感してしまい、柔軟性が裏目に出てブレブレなリーダーになってしまっていたこともあったと思う。やっぱ異なる価値観をまとめあげるより、その一つ一つを尊重して幸せにできたらな、なんて何度思ったか数えきれない。
ある後輩から「ディズさんは先入観にとらわれず新しいもの持って来てくれる所はチームにプラスになってると思うけど、何を考えてるか分からないから行動をもっと見せてほしい。それがないと動かない人もいる。」と恥ずかしながら言われたこともある。本当にそんなことを言ってくれる後輩には感謝だが、自分の理想が先行して地に足着いた努力ができていないという事実を突きつけられたことは辛いものだった。
知らず知らずのうちにチームに求める理想が自分の中で高くなっていた。それを実現しようとするといかに今の組織が矛盾を孕んでいるかが辛く目の前に降りかかってくるようになった。やってもやってもやってもやっても足りない足りない足りない足りない。そんなの当たり前だろう。京大生がスポーツで日本一目指すんだから。
でもずっと引っかかっていたことは、そんな永遠に積み重ね続けられる課題の山を楽しむために十分なほど、自分の中には「学生日本一」の信念が湧き出てくる根本の何かが見当たらなかった。それもそのはずで、自分はKULが目指すものとは異なるものを軸としてラクロスをやっているからだ。
「学生日本一」という目標に対して本当に泥臭く、本気で共感して動けてるかと言われれば今だから言えるができていなかったし(自分は今シーズン「学生日本一」という言葉を口から発したのは片手に入るくらいだろう)、「ラクロス>学生生活のその他全て」という考え方もいまいち分からないし(なんのために必死こいて勉強して京大入ったんだよと思う)、副将になった時も、言葉や頭でっかちな仕組みばかり先行して、その裏で信頼が得られる行動を姿勢を取り続けられてたかなんて今となっては分からないし。
自分には「学生日本一」というものを語る資格がない、というよりそこにパッションを伴って語ることができない。そんなことにふとした時気づいてしまった。
そんなことを心で思っていると、みんなの心の中にあるおまじないのような「学生日本一」というものも悪魔のように見え始めてしまった。当時の感情を綺麗な文章ではないが書いてみる。
「学生日本一という目標と現状の間には無数の課題が山積みで立ち向かわなければならない。でもそれに立ち向かっていくことを本心から望んでいるのか?分からない人も多くて。。分からないというより、本当のあなたはそれを望んでないかもしれないことが目に見えたとき、辛すぎた。みんな本当に幸せなの?自分がもともと本心から求めているものとは違うものがこの部活では押し付けられて。それを心から思っている人からしたらなんで他の人はできないの、、ってなるし、もっていない人は本当は違うのに、って思いながらやり続けなければならないし、、誰が幸せになるの?ここにいる意味ってなんなの?みんななんでそこまでボロボロになりながら自分の生活を賭せるの?意味が分からなかった。そうしていくうちに自分のことをコントロールできなくなってしまっていた、、」
要するに、
そもそも「学生日本一」ってみんな本当に目指したいの?
本当に目指したいのなら、どうしてそこまで思うの?何があなたをそうさせるの?
そうでも思ってないなら、なんで今この組織にいられるの?自分の志向とは違うものが日々押し付けられていることになるんだよ。なんでそこまで頑張れるの?どこまで頑張っても最後待っているものは「お前は足りない。」かもしれないんだよ?
そのどちらも確実に存在するとして、交わるはずのないものが共在しているのって、まずくない?
的なことを考えて、分からなくなっていた。
考えすぎかな。おかしいかな。でも、見てて幸せそうじゃない人もいたから。辛すぎた。これだけの大所帯なんだから、個々人の価値観だって部活に求めるものだって完全に一致しないことなんて分かってる。でも、大本求めているものの方向性がちがうのなら、お互いに幸せにはなれない。
「それはそうだけど仕方がない。変えられるものにだけ注目しよう」なんて言葉も一時の気休めにしかならなかった。「それも含めてマネジメントだリーダーシップだ」なんて言葉は頭の中では重々承知している。
解決したくて沢山勉強もした。あるはずのない正解も自分がどこにいるかわからなくなるまで探した。個々人の欲求と組織の欲求を結びつけることが重要だなんてことも頭では分かってた。でもそれを行動に移すだけの勇気と、湧き出てくるエネルギーがどうにもなかった。
勝って幸せになれば良かっただけなのにね。実力を以て、結果を出して、みんなを守れば良かっただけなのにね。上手くいかないのなんてそんなの当たり前で、ごちゃごちゃ考えている暇があったらひたすら練習して行動して、継続すれば良いだけの話だったのにね。
みんなごめん。俺が先に自分に負けてしまっていた。「どうにもならない、どうすれば良いかわからない。」という思いはその「どうすることもできない」状態を再び呼び、抜け出せなくなってしまっていた。
俺はただの事故だなんて思っていない。正確には、思いたくない。人は意味のない苦しみに耐えることができない。起こるはずの理由があったと考えているし、自分にもチームにも課されるべき試練だったんだと思っている。
こんな副将を支えチームを繋いで来てくれたのは紛れもなく、行動し続けたみんなだった。ありがとう。本当にありがとう。
グラウンドに戻った時、そこには自分の穴を埋め合わせるために奮闘する仲間・後輩の姿があった。何かを失えば何か新しいギフトが得られるもの。ここでは自分の離脱によって特に変化を被ったと思う人にメッセージを送ります。
オーロラ(#89)
「自分がやるしかない」って言ってくれた覚悟に、ありがとう。本心どこまで不安があったかなんて計り知れないけど、この期間の取り組み、成長は確実に未来に生きてる。どんどん視座高く、伸び続けてくれ。
だいぶつ・モドリ(#1.#6)
パズーを支えてくれてありがとう。結果で引っ張ってくれてありがとう。今年は作っていく番。2人なりの課題が待ち受けているけど、乗り越えていける覚悟と信念を持ち合わせてると思ってる。困ったときは「チーム」になることを忘れずに。
よいち(#99)
流れを司るクリアライドFO全部担ってくれてありがとう。組織の要所にも、試合の要所にもいつもいる、天才ゲームメイカーになってくれ。
トマト(#13)
急にOFもDFもクリアライドもFOも全部ふりかかってきたよな、ごめん。でもトマトがなりたい像になるために、必要な試練だったんだと思う。作りたい未来をチームを創っていってくれ。
フロンティア(次期#29)
プレーをまともに見せることができないまま継ぐことになってしまい、申し訳ない。素直すぎて逆に本心何考えてるのか心配になるぐらい素直だなって思う。その姿勢は確実に報われると信じてる。京大の#29をここから轟かせていってくれ。
ぜひ彼らに来シーズン特にご注目下さい。技術的にも、人としても大きく成長していくと期待しています。なぜなら僕の意志を継いでくれているからです。
その後プレーできなくなってから、チームへの貢献方法を変える・自分にできることを探す、という部分は性格的に割とすんなり移行できていたので割愛します。
そして最後1部リーグ他試合をyoutube配信で見て4年間は終了した。大経戦で勝利し自分たちができることはやって結果を待つことになった帰りの時、動画を眺めることで「引退」が決まった時、複雑で仕方なかった。(言語化不能)
ただ終わってみると、悔しくて仕方がない。
命さえあれば、健康に生きれたらそれで良い、なんて思っていたのに。
チームが勝つためには、OF全体として成功していくにはこういうことをすれば良いのね、ってまた一つ視野が広がった瞬間にプレーが絶たれたことは悔しくて仕方がない。
自分があのまま進化し続けていたらどこまでいけていたのだろうと思うと悔しくて仕方がない。
OF組織の中で、個性的な仲間たちと共に、最高のOFを作り上げていくことを一緒に参加できなかったことは悔しくて仕方がない。
両親に4年間で成長した姿よりも、傷ついて動けなくなった姿を見せることしかできなかったことは悔しくて仕方がない。
チームの一人一人が自分とチームメイトと向き合い、共に高めあい、成功していくその瞬間に自分が立ち会えなかったことが悔しくて仕方がない。
でも、自分は被害者で悲劇のヒーローだなんて思ってていても仕方がない。
状況が変わって、これまで自分がやってきた方法を全て変えてチームに貢献せざるを得なくなってもなお、チームが勝つために必要なことはやってきたつもりだ。大経戦でチームが勝ったことはもちろん、これまでの成果が実って結果を出せた仲間を見れたり、フィールドで戦う選手と共に応援も色んな人と共に戦ってくれたり、自分がOF組織の良い所を集めてそれが試合で形となって得点した時、嬉しかった。
外から見てて安心して見てられないくらいまだまだ気がかりな仲間ばかりだけど、成長を感じれた。
この悔しさは自分のミッションとして、必ずや次のステージで晴らすしかない。
そしてもう一つ、この23.24シーズンはKULの歴史において必ず必要であったと言えるシーズンになる理由がある。
学生日本一という目標を掲げ行動するからこそ生まれるさまざまな矛盾や葛藤を乗り越えてここまで繋いでくれたくれた仲間、それに耐えられなくなるまで自分を捧げ部を繋いでくれた仲間、色んな仲間のおかげでKULは生き延びることができた。
失ったものばかり気にするなとは言うが、今のKULは紛れもなく、これまで失ったもの、仲間達の努力があったからこそに違いないと自分は信じてる。自分が自分で無くなるまで追い込まれ、そんな中でも部を繋ぎ続けてくれた仲間がいた。居場所も感じられずでもリーダーとしての責務は降りかかり続け、責任感と義務感で自分を見失うまで繋いでくれた仲間がいた。
その人たちのために、そしてまたKULを作り上げてくれたこれまでの全ての人たちのために、必ずこの現実を繋がなければならない。未来のKULのために、繋がなければならない。
その時が必ずやってくるということ。自分は、24KULの仲間たちは、必ずや必要だったと言われる、そんな歴史を担う瞬間を作り出せると信じて。全身全霊を捧げて戦う責務がこれまでも、これからも、ある。
結果だけ見れば、正直微妙と言われて仕方がないものになっただろう。しかし内実はKULの過去と未来をつなぐ重要な期間になったと胸を張って言える。
KULはこれまで長い時間軸で見て栄華の時期もあれば衰退の危機にあった時期もあった。今回は「廃部」に繋がる危機である。3部降格から全学準優勝まで持ち直した過去の先輩方の必死の(語彙力の不足によってこうとしか表現できないのが申し訳ないほどの)努力によって持ち直した組織の拡大に反するように、コロナによって部員が少なくなり、個々人の負担は数倍になった。
当事者としてはっきり言わせてもらうと、23.24シーズンはこの期間に在籍した全ての必死の、不断の努力によって繋ぎ止められた奇跡のシーズンだったと今となっては心の底から思う。本当にみんなありがとう。結果として見れば「1部ギリギリ残留(23)・4位終了(24)」という見栄えの良い者ではないし満足していない人も多いと思う。でもそれとは別の話で、俺たちはKULを生き延びさせた、未来を繋いだ。そのことに多いに自信を持って欲しい。そしてこの期間はムダなものではなく、下振れの時期は次上に飛び上がるためのバネを溜める時期に違いない。その力を、これから爆発させていってください。
終わりに、家族と後輩へのメッセージを述べさせてください。
家族へ
あの日から、何ヶ月もずっと側にいてくれてありがとう。心配かけてごめんなさい。家族にもう一人いるラクロッサーがまた別の感動を恵んでくれると思う。共通の脅威は家族の絆を強くしてくれました。これからも共に頑張っていこう。
コーチの方々、先輩へ
今年1年も、感動ばかりというわけではなく、色んな矛盾や違和感も感じることが多かったかもしれません。お世話になったことに対して結果で応えることができず申し訳ありませんでした。しかし皆さんのお力がなければもっと大変なことになっていました。来年度以降も関わってくださる方は、引き続きよろしくお願いいたします。
後輩へ
いっぱい迷惑かけました。でもみんながいたから、自分に課される役割に向き合い続けてくれたから、1年走り切ることができました。ありがとう。来年以降も自分の限界を定めずに成長し続けてください。あと、困ったときは「チームになること」を忘れずに。
長々とお読みいただきありがとうございました。引退した後になって整理されてくる感情を書き連ねました。Emotionを言葉にするのって難しいです。あまりに考えることの多い、その点で充実した4年間でした。
気持ちはすでに次の人生への期待に向かっています!KULで過ごした4年間だからこそ得られたもの、失ったもの。全部受け止めて、だからこそ見えてきた次のステージへ。
最後になりましたが、24KULを応援して下さった全ての方々、多くのご支援ご声援本当にありがとうございました。強いKULがここから再び始まります。まだまだ未熟な私たちですが、今後ともご支援ご声援のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2024/10/18 #29 石川大地