まずはじめに、本年度KULを応援してくださった方々、ご支援をしてくださった方々に深く感謝申し上げます。目標とは程遠い結果に終わりましたが、シーズン最後まで多くの方のご協力があったと実感しています。本当にありがとうございました。
引退翌日に、題名の通り4年間で最もemotionalな部分を中心にこのブログを書いています。まとまりのない稚拙な文章になると思いますが、お許しください。
2度の手術と入院。その他大小様々な怪我。全てのリハビリ期間を合わせると、満足に練習に参加できた期間は半分くらいだったような感覚がある。かわいそう、と思う人もいるかもしれない。確かに長く暗い時間を過ごし得る状態ではあったが、この期間はむしろ、その後の自分にとって進むべき道を示す光となったことが、4年間で得た大きな学びであったと感じている。
1年の冬、まだ新シーズンが始まったばかりの時に、秋までは練習することができないことを医者に言われ、グラウンドの端でリハビリをする日々が始まった。次第に何人かの同期がAチームの試合に出て、活躍し始めた。彼らは彼らなりに辛いこともありそうだったが、もがき、苦しみながら成長していく姿が羨ましかった。そして何より、その様子を遠くから傍観し、試合になると応援席に回る自分が情けなく悔しかった。悔しすぎたから、とにかく練習した。
平日も休日も壁と公園で毎日何時間も練習した。あまり激しくは動けなかったので、公園では延々とGBとクロスワークの練習。コンビニで弁当を買って一日中壁にいて何千球も打ったこともある。他大のブログで「血豆が割れ、シャフトが赤く染まるまで練習した」みたいな文を見た時は、そんなの当たり前じゃんと思った。手のひらの出血と痛みなんて気にならないくらい、とにかく悔しかった。
コロナルールが緩和されてグラウンドが使えるようになってからは、公園の代わりにグラウンドに行き、たくさんシュートを打った。燃えるような悔しさも、クロスに触ってる間は幾分マシだった。
オフの日も、Aチームの練習がある場合は必ず朝からグラウンドに行き、横でステップ練を中心に1人で練習した。自分はすごい選手になると信じていたから、当時のDFリーダーに「日本代表になります」と宣言をして、自分を奮い立たせた。怪我人の分際だったけど、遠征にも帯同させてもらった。そこで本来試合に出るのは自分であったと信じていた。
やがて迎えたその年のリーグ戦第3戦の前日、ベンチメンバーの発表で、まだ全くプレーすることができない自分の背番号が呼ばれた。そしてなぜか、泣いてしまった。理由は当時は全くわからなかったけど、今ならわかる。
誰かに見て欲しかった。
自分だけ蚊帳の外にいるような感覚の中で、「俺はここにいるぞ」って必死に叫んでたような、そんな期間だった。ベンチメンバーに呼んでもらった時は、自分のことを見てくれていた人がいることがわかり、救われたような気分だったように今は思う。同期と肩を並べて対等に話せる気分になったのも覚えている。
秋にBチームに復帰してからの実力は酷いもので、試合に出場できる時間も多くはなく、自分の無力さに嘆いてシーズンが終わった。それでも、ラクロスができていることに感謝し精一杯実力向上に努めようと前を向いた。
その矢先、1年前と全く同時期に、また同じところを手術することが決まった。焦りからしばらくオフを取らずに練習し続けた上に、大した体のケアもせず、違和感を無視して練習し続けた末路だった。夏までラクロスをすることが叶わなくなってしまった。
しかし1年前との違いは、経験からやるべきことがはっきりわかっていることだった。上回生の人数が少なく、自分が早く主力にならなければいけないこともわかっていたので、もはや落ち込んでいる場合ではなかった。
復帰してすぐ迎えた開幕戦。1-11の大差で敗北した。失点にもたくさん絡んだ。自分とチームの実力不足に深く苦しみを覚えた。第2戦は勝ったが、その後は連戦連敗で苦しいシーズンを送った。いつも敗因の一端を担った自負があったが、責めることなく成長を待ち続けてくれた当時の4回生やコーチさんには感謝しかない。1年前に羨んだ、もがき苦しみながらも成長を目指す側に自分がいて、結果には到底満足などできなかったが充実はしていた。やっと普通のラクロッサーになった気分だった。
1部残留が決まり、4回生が引退した後待っていたのは1ヶ月続いたミーティングだった。その中で、意義目標の枠組みを新たに作ることが決まった。自分と同じような境遇の部員もチームの目標に向かって他の部員と同じ立場で歩くことができると思ったし、ラクロスの実力以外の部分に目が行くことで、誰も置いていかずにチーム一丸となって日本一を目指せると思った。
迎えたラストイヤーは、4年間で最も充実していた。
日本一を取るための技術、戦い方などを本当に色々考えたし、愛されるチームになるにはどうしたら良いか、新たな試みの中で試行錯誤の連続だった。最後の試合を観戦しにきてくれたOBが、「本当にこのチームは愛されてると思ったよ」、と話してくれた。今までやってきた取り組みは意味があったのだと思うことができた。何よりほとんど怪我することなく、最後まで全力でプレーできたことが本当に楽しかった。
ラストシーズンも思うようには勝てなかった。そして昨日、順位と1部残留が確定して、引退した。
悔しい。本当に自分たちは日本一を取るには程遠いチームだったのか、未だに信じることはできていない。やりきれなさからか、昨日の夜も足はグラウンドに向かった。そこには既に、次のシーズンに向けて笑顔で練習をする後輩たちの姿があった。それを見て、自分のラクロスはまだまだ終わらないことに気づき、引退の靄が吹っ切れた。こうして現役選手としての4年間に、区切りをつけることができた。
この4年間で、苦難に立ち向かい、そこからチャンスが繋がることを学んだ。怪我期間に練習し続けたパスキャやクロスワーク、シュートは自分の武器となり、自分のプレースタイルを決めることになったし、精神的な支えにもなった。苦しい状態でも自己研鑽し続けた過去が何よりの自信になって、いつも自分を支えてくれた。
「まずは行動。気持ちは後からついてくる。」
これは1年生の時にコーチさんが言っていた言葉で、自分の中心にいつもある言葉だ。動けば動くほどその行動を裏切らない人間になりたいと思う。これからの人生においても大切にしたいと思っている。
最後に各方面へ少しだけ想いを伝えさせていただきます。
後輩へ
これから高みを目指す後輩たちへ。自分を信じて。自分が描くすごい自分に負けないで。どこまでもすごいプレイヤーになってくれ。
今もがき苦しんでいる後輩たちへ。チャンスは自分で作ることができる。時間は全員等しく過ぎていく。今引退して後悔しないか?と自分を追い込んで。今KULにいる2回生3回生全員に可能性を感じる。絶対できる。1回生はこれからよろしく。
また全員グラウンドで喋ろう。引き継ぎmtgもあるしこの辺にしておきます。
コーチさん方、先輩方へ
どれだけミスをしても、1on1で負けても、成長を信じてくださりありがとうございました。期待を感じる度に身が引き締まる想いでした。まだまだ成長途中なので、強くなってまた一緒にラクロスができたらと思っています。
家族へ
ほとんどの試合に応援に来てくれてありがとう。
全力でサポートしてくれてありがとう。
逆境はあったけど、部活に行きたくない日なんて1日もなかったくらい、毎日充実して楽しかったです。たくさんの人の想いを背負い、プレーできたことがとても幸せでした。
最後にもう一度、24KULを応援してくださった全ての方へ
多大なるご支援本当にありがとうございました。昨日をもって4年生は引退しましたが、来年度以降も高い目標に向かってKULは研鑽を続けます。どうか今後もご支援ご声援のほどよろしくお願いいたします。
2024/10/7 #8 秋元陸