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2025

25KUL Emotion #6 兼氏琉加

平素よりKULを支援してくださっている全ての方々に心より感謝申し上げます。

特にラストイヤーは苦しい時間が長い中で、皆様の声援が本当に支えになりました。

自分の経験や当時の思いを書くことなんて人生でこれっきりだろうし、これが誰かの心に響けばいいなと思い、一生懸命書いたので、拙く長い文章ですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。




「責任」

振り返ると、この言葉からずっと逃げてきた人生だったと思う。


中高の野球部でも、ラクロス部に入ってからも常に自分が上手くなる事、有名になる事を考えて練習した。

もちろん自分の欲もあったが、何かに責任を持ち、自分以外の誰かのために行動する事がシンプルにしんどい事だと思っていたのが大きい。


例えば、チームに対して責任を持つという事は士気を下げる怠慢プレーを注意したり、雰囲気を良くするために声を出し続けたり… 

それを自分の技術向上と共に、1年間やり続けるだけでかなりきついと思う。


何よりきついのは、自分が責任を負った人達に対して弱い所を見せられない所だと思う。

体調不良や怪我、スランプ、どんな事があっても見る人をがっかりさせるような言動はできない。

自分はそれが嫌で嫌で仕方なかった。


目標達成のためには無理だと分かっていても、常に楽しくスポーツはしていたかったし、ピリッとした雰囲気や厳しい言動が苦手だった。


ただ、3回生になって、そうもして居られなくなった。

学生主体のKULでは、統率を取る監督やコーチはおらず、1個上の学年の人数は少なかったので、3回生で主力の自分にも、責任を持ち、ポジ組織をまとめ上げる役割をやって欲しいとの声が上がった。


元々はやるつもりではなかったが、主将と副将の「兼氏がチームの事を考えれるようになれば確実に強いチームになれる」という言葉を聞いて、ここが自分が変わるチャンスなのかもしれないと思った。

チームに責任を持って行動できる人は1人でも多い方が強くなるというのも納得できたし、日本一のためにやるしかないとも思った。


ただ、結局、1年間を通して、先輩にチームの事は任せきりになってしまった。


日本一には到底足りてない自分の個人技術にばかり目を向け、チームを思った言動や雰囲気作りはもちろん、OMF組織に対しての干渉も全くできないで終わってしまった。


チームのFinal3の可能性が途絶えた神戸戦後にディズムさんから「来年はチーム全体をもっと考えれるようになってほしい。今日みたいなシャットされてる試合でも、1枚剥がして貰い出すとかできたかも。」と言われた時に自分の甘さに絶望した。


先輩がこんな必死にやっている中でもシャットされているから自分は何もできないと決めつけ、チームの勝利に貢献するのを諦めていた自分が情けなかった。


もうこんな惨めな思いはしたくない、そして自分が憧れた日本一をラストイヤーこそは達成しようと迎えた新シーズン。

副将、OMFL、正規練幹部長と3つの役職をする事を決めた。


副将に関しては、確実にやるのは自分ではないと分かっていた。

だけど、自薦分に書いたような24シーズンで感じた、負け展開での雰囲気の悪さは幹部として改善したいと思っていたし、自分に対してのけじめという意味でやろうと思った。


ラストイヤーは守ってくれる先輩もいない中で、主力として経験のある自分が様々な責任から逃げていては日本一はないと思った。


副将、正規練幹部としては、とにかく練習中に干渉し続ける、保護者さんやOBさんなどに対して挨拶をきちんとするなど、誰でもできそうやけどやらない事をやると決めた。


OMFLとしては週一回、Aメンバーに対してオンボールの反省会をする事、正規練幹部長としては必ず返信や連絡を見たらすぐやる事を決めた。


正規練幹部長の仕事はめんどくさいものが多かったが、他の人に頼ったらまた去年と同じ悔しい思いをする気がした。


また、どの決め事も日本一、愛し愛されるチームになるという2つの目標には必要だと思ったし、チームに責任を持つと決めた以上、必ず1年間やり抜こうと決めた。


そんな決意を持って始まった新チームは自分が思ってるよりも成長が早く、今までは歯が立たなかった関東の強豪までも倒せるようになっていった。

自分がやっている事が間違ってないと証明された気がしたし、このままいけば日本一を本当に取れると確信していた。


そんな中、新歓期を迎え試合が無くなった。

毎日同じような練習が続く中で、初めて今まで注いでいたラクロスへの熱がスッと無くなった。


当時は試合が無くなったから刺激が無くなっただけと思っていた。

ただ、振り返ると慣れていないチームのための言動を続けようとしていた自分に限界が来ていたんだと思う。

毎週のようにある何かしらのmtg、しんどい時でも声を出し続け、全力を出し続けないといけない練習。

辛くてもチームのためにと思っていた一つ一つが、気付かぬうちに心を蝕んでいたかもしれない。


気づけば、ラクロスを何のためにやっていたかが分からなくなり、1年生から毎日続けていた壁打ちや習慣化していたはずの筋トレやシュー練もやらない日ができていた。


5月のトップリーグ予選までは、今までつけてきた貯金の技術や体力で貢献できたが、阪大との決勝から徐々に活躍どころか足を引っ張る場面が増えていった。


セーブや1on1に勝てない場面が増え、熱中症も度々起こす始末。

それに連動するようにチームの負けも続いた。


チームを引っ張っていくはずの自分がチームに迷惑をかけ続けているから当たり前だと思った。

明らかに、自分のせいで雰囲気も悪くなってるしチームも勝ててない。


それなのに、チームにあれこれ干渉をし続けたり、戦術からチームの雰囲気が良くなるような施策まで考えてる自分が不適切だと思った。


それでも、自分が背負うと決めた、そしてチームの皆に任せてもらえた責務からは逃げれずに本当にしんどかった。

6月半ば頃は、ずっとラクロスをやってきた理由であった日本一さえ「達成してどうなるんだ」と本気で思っていたし、早く部活を辞めたかった。


もう限界だった。


そんな中でも、電話した時に泣いてる自分を「苦しいのは成長してる証拠だ」と励ましてくれた両親。


エースだと言って温かい言葉をかけてくれたマッコリさん。


不調の原因はただ練習してないだけだと思っていた自分の技術向上のために、反省会を開いてくれたケイゴロさん。


熱中症で倒れていたら、手持ち扇風機を一目散に持ってきてくれた田中さん。


クラウドファンディングのコメントに期待を寄せてくれたマサイさん。


そして、辛い気持ちを吐露した時に「お前、上手いからそんな事ないやろ。」とか「俺は1年の頃からしんどいわ。」とか笑って励ましてくれたみんな。


あげるとキリはありませんが、こういう日常のほんの一瞬の出来事に助けられ、何とかリーグ戦までやり切る事が出来ました。


先ほども言ったように、今までの人生はとにかく自分と両親のためにしか勉強もスポーツもやってきませんでした。

また、京大合格などのブレない目標がありどんだけ辛い事があっても歯を食いしばって突き進む事ができていました。


ただ、人生で初めて日本一というブレないはずだった目標さえも見失いかけ、どん底になった時に多くの人からの励ましや声援が心の支えになっていました。


また、ここで自分はこういう人達への「責任」もあると気付きました。


自分達の日本一を疑わずにmtgや朝早くからの練習に参加してくれてるコーチさん方。


怪我や俺と同じように辞めたいという思いを抱えながらも、チームのためにと行動する部員。


そして、毎試合のようにスタンドや配信から応援してくださる保護者さんやOB、OGの皆様。


こういう人達に対して、どんだけ辛くても自分は日本一に向けて最後まで走り抜けなければならないという「責任」があると感じました。


これは今までたくさん聞いた事のある事だし、分かっている気にはなってましたが、本当に応援してくださる人達のために、と本気になったのは初めての経験だったと思います。


もう一度、日本一へと個人技術にも向き合い始め、調子を上げてリーグ戦が始まりました。


ただ、始まった途端に左右の足の肉離れ、膝の関節炎という人生初の大怪我を負ってしまいました。

これは3月~6月の期間、ラクロスに向き合わなかった罰だと自分を呪いました。

右のシュートやダッジの度に激痛が走り、痛み止めがあっても走るのがしんどい状態。


こんなラストを迎えるのかと落ち込んでいる時に先ほどあげた人達の顔がいつも浮かびました。


「そうだ、この人達に情けない姿だけは見せちゃいけない」。


この思いが自分を奮い立たせ、OFのプレーで貢献できなくても、ライドやグラボを積極的にやったり、チームが調子に乗りそうな時に「逆転されるぞ」というような厳しい声をかけたり…


怪我に関係なくできる事をやり切ろうと決め、リーグ戦期間を過ごしました。

どの得点よりも阪大戦でやったライドでのボールダウンに成長を感じる事ができました。


長い長いリーグ戦期間も無事終え、最後の2戦はいいゲームができなかったけど、チームはFinalまで進む事ができました。


みんな、そして応援してくれる人達のおかげで

掴んだ日本一への切符、リーグ戦の分まで自分が「責任」を胸に、チームを勝たせるプレーしたいと本当に思っています。

KULの6番に注目ください。


最後に自分の心の支えとなった人達へ感謝のメッセージを書きたいと思います。


~相田さん~

高校時代から本当にお世話になりました。

ラクロスという素晴らしいスポーツにもあなたがいなければ出会えなかったです。

6番に恥じないプレーを最後までします。

応援お願いします。


~同期~

誰一人欠けることなく日本一を本気で目指しているメンバーで良かった。

自分が辛い時も頑張ってる同期を見て、心を奮い立たせていました。ありがとう。


~ブッちゃん~

僕への「ありがとう」という個人メッセージがあった時はこちらこそと思いました。

下回生が多い今年のOFメンバーを常に厳しくまとめあげてくれた、本当に感謝しています。

全国の舞台で、作り上げてきたOF組織、そして俺たち二人の技術が世代最高である事を証明しに行きましょう。

怪我の悪化だけお互い注意しましょう。


~OMFメンバー~

特に赤松、マリン、ピロ、坂口は一緒にいる時間が長かったと思います。

愚痴を聞いてもらったり、冗談を言い合ったりする時間が本当に楽しかったです。

また、1週間に1回のオンボール反省会や練習中の厳しい干渉にはよく耐えてくれました。

どこを見ても、一番強いOMF組織になったと思います。

夢の舞台まであと少しついて来てほしいです。


~後輩たち~

4回生が少ない中で本当によくやってくれてると思います。

応援メンバーも含めて全員に感謝しています。

試合に出るメンバーはここから負けられない試合にとても緊張していると思います。

ただ、ミスしたらとか先輩に迷惑かけたらとかマイナスの事だけは考えないで欲しい。

今のメンバーでトップリーグも優勝したし、関東も倒して来たわけやから自信を持って挑もう。

君達は上手いです。


~スタッフのみんな~

TRは特にリーグ戦期間、とても迷惑をかけました。

テーピングや怪我の管理など嫌味を言わずにやってくれてありがとうございました。

MGは正規練幹部長の自分のミスで練習や試合前に度重なるメニューやタイスケの変更をお願いしたと思います。

柔軟な対応に感謝したいです。

日々の活動もスタッフあってのものです。

もちろん、「責任」を感じています。

日本一へあと少しサポートお願いします。


~コーチさん方~

マッコリさんとケイゴロさんは先述の通り、今年の1年間は特に本当にお世話になりました。

引退してからの3年間の指導、感謝してもしきれません。

他にも仕事が忙しい中、自分達に期待をしHCを引き受けてくれたフィーゴさんや遠方から練習や試合に来てくださる吉田さん、東條さん。そして、度々熱い言葉で喝を入れてくれるナダルさん。

今までのコーチさんを含め全員に感謝しています。

皆さんの思いを胸に戦います。


~母~

骨折など大きな怪我をしない体に産んでくれて、試合に毎回来てくれて、辛い時に毎回励ましてくれて、あげればキリがありません。

どんな時も僕のそばにいてどんな自分も肯定し続けてくれました。

まずは日本一、そして社会人になってからも恩を返し続けます。


~父~

僕よりもラクロスに熱中していませんか?

それくらいインスタ投稿や試合のたびに何かしらのコメントをくれて元気になっていました。

また、金銭的なサポートもありがとう。

特に最後の1年間はバイトもしない自分に「日本一を達成しなさい」と言って、様々なものを買ってくれました。

必ず最後まで勝ち続けます。




2025/10/25 #6 兼氏琉加


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