PLになりたい。
入部する時も、入部してからも、
今でもそう思う。
男子ラクロスという競技で、このKULで、
みんなとフィールドに立って、
チームに貢献したかった。
練習中にしょうもないことでわいわい言ってるのも、逆に真剣なあまりぶつかってるときでさえ、
みんながうらやましかった。
みんなの熱さがうらやましかった。
「日本一をとりたい」
その想いに嘘はない。
でも追いつかないと感じるのも事実で、
そのたびにPLとして関われたらどんなにいいかと思った。
KULを選んだことに後悔はない。
でも、PLでない自分はどう関わればいいのか、迷い続けてきた。
自分の性格が邪魔をして、
踏み込めないことが多かったと思う。
1回生の頃は何も考えずにできていたのに、
TRとしてうまくやれているのか、他の人と比べて自分の存在価値はあるのかと考えると、
干渉の仕方がわからなくなって、
「TRとしての良さ」を考えすぎて、楽しい気持ちは忘れていた。
何が強みなのかもわからないまま、上回生がいなくなって、成り行きでリハビリ分野を担当することになった。
遅かったかもしれない。
それでもその状況に立って初めて、「誰でもできる関わり方」から「自分なりの関わり方」に変わっていった。
今でも、自分じゃなければもっと良い方法で踏み込んでいくんじゃないか、自分は何もできていないのではないかと考えることもあるけれど、
自分にしかできない関わりも確実にあって、
少しでも、目に見えなくても、
今の自分が防いだ怪我や、軽くした気持ちがあると信じている。
うまくいかないことの方が多かったけれど、やめようと思ったことは1回生の冬を最後に1度もない。
「できるとこまで頑張る」といった自分に、
「できるところまでじゃなくて最後までやろう」
とかけてくれた言葉を今でも覚えている。
そんな同期の言葉とか、
怪我をしてもラクロスに向き合い続けるみんなの姿とか、
ギリギリでシュートが決まったときの嬉しさとか、
そういうものに触れるたびに、ここにいる意味を思い出してきた。
PLという形ではないけれど、
今も直接貢献できないことに悔しさはあるけれど、
「みんなで日本一をとった」と実感できるように、
自分にできることを、全力で最後まで。
2022/9/5 田中麻子