負けた、
9月4日、関学戦
21KULで1年間Aを経験したメンバーが多く残り、皆が毎日真剣にラクロスに向き合っているこのチームなら勝てる。そう思っていた。
しかし相手の方が上回っていた。
立命戦や神戸戦でも主力を欠いた相手に勝てるかどうかという試合をしていた。
学生日本一を目標にしているチームとは思えないくらい不甲斐ない試合が続いている。
しかし、学生日本一とはどういう意味を持つのか。
4年前、、
30期で一番最後に入部した。
日本一に惹かれたからではない。ラクロスが面白そうだったからだ。
中学高校と部活では控えの時期が長く楽しめなかった時間がほとんどだった。ラクロスでも控えなら恐らく4年間楽しくないだろう、、
だからFrチームでレギュラーになれなければ辞める、という条件を自分に課して入部した。
長い練習時間でしんどい時も歯を食いしばって練習に取り組んだ。練習が終わると壁当てしなければという思いに迫られ、壁をつつき始めて気づけば2,3時間なんてのは当たり前だった。
でもなかなか上手くいかなかった。
ウインター予選の立命戦。
決勝トーナメント進出がかかったこの試合、LGの同期が皆フィールドに立っている中ただ1人試合に出ずにベンチから見ていることしか出来なかった。
チームはこの試合に勝って決勝トーナメント進出が決まったが、素直に喜ぶことは出来なかった。
残り1ヶ月頑張ってみて決勝トーナメントでも試合に出られなければ、退部しよう。
そう思ってこの1ヶ月ひたすら全力で練習した。
そうすると何かを掴み始めたのか練習で良いプレーが出来るようになってきた。
決勝トーナメントでもスタメンで試合に出ることができ、素直に試合に勝つ喜び負けた悔しさを感じた。
何よりラクロスが楽しかった。
まだもっとラクロスをしたい。
日本一など意識できていなかったが、ラクロスがしたくてKULに残る選択をした。
2回生、
コロナの影響で正規練が無くなり、mtgで日本一についてとか、どういうDFをするのが良いかとか、色々な話をした。
実際に日本一になったチームの試合ビデオを見たりした。
この時学生日本一のビジョンが見えずかなり遠いものであると感じることが多かった。
日本一になったチームのレベルまでいけるのか。
mtgで自分のやりたいラクロスを語る時に、フェイスオフとライドで100%勝ってハーフDFを1回もせずに終える戦い方を述べた。
それぐらい関東相手にハーフDFで守れるビジョンが見えなかった。
とにかくまずAに上がろう。
苦手なグラボをすくえるようになろうと毎晩近所の公園でひたすらボールをすくい続けた。
壁当てでは普通のパスキャやパスカットの練習に加え、ビハインドパスなんかにも挑戦した。
1回もAに上がることはなかった。疑問を感じ悩み続けた日々だった。
上回生となり多少なりとも日本一を考えるようになったが、関東との試合も無く日本一が遠いままだった。
3回生、
自分の実力不足を痛感する毎日でなぜAにいるのか分からなかった。とにかく怒られると分かっている練習、ビデ反に参加するのがしんどかった。
伸び悩んでいた時にはコーチさんが真摯に向き合ってくださった。1年間もなかなか成長しない自分を見捨てずにいてくれたなと思う。
はじめてのリーグ戦、あまり試合に出ることが無かった。
それでも壮行会の激励メッセージ、FINAL3の試合にたくさんの先輩が来てくださったのを見て、KULの日本一は自分たちだけの想いだけではないことを感じた。
4回生、
試合に出て活躍できる場面も増えてきた。
2.3回生で練習していたことが徐々に出来るようになってきた。
特にパスカットなんかは1.2回生の時、試合でも練習でも成功したことがなくて自分の武器になることは無いだろうと思ってたけど、今では自分の武器になっている。
自主練の成果が表れはじめた。
感慨深い。
人のために活躍したい、勝ちたい。
今までこの類の言葉があまり理解できなかった。
だが、たくさんの先輩がこの暑い中試合に応援に来てくださり、遠方の方はライブ配信も見てくださっている。SNSで言葉をかけてくださった先輩もいた。
今までの先輩方の勇姿や残していった言葉、
それらを思い出すと、
この人たちのために勝ちたい。
そんな思いが芽生えるようになった。
初めての感覚。
これはKULで活動していく中で引退していった先輩たちやコーチさんが、沢山のものを自分たちに与えてくれたからだと思う。
言葉では表せないくらいだ。
今まで日本一を目指し叶わなかった先輩たちの想いを背負っている。
KULの悲願である学生日本一。
どんな形でもいい。
その想いを叶えなければならない。
これが自分にとって学生日本一を目指す意味。
残されている時間は少ない
全力で自分に与えられた役割を果たす
全学決勝、
胸を張って勝利を報告できるその日まで、、
PRIDE
#18 長谷川隼也