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2023

TR 李暁静

 菩薩から紹介に預かりました、りーひょんこと李暁静です。CCレモンは子どもの飲み物じゃないです。訂正してお詫び申し上げます。ありがたいことに、菩薩からは勉強ができると思われているようですね。まぁ私にかかれば勉強なんて余裕…なんてこともなく、実は合格最低点+7点でギリギリ拾ってもらった立場なので、勉強のコツと言われても参考にはならないと思いますが、強いていうなら家では絶対に勉強しないことです。なぜなら、「家=リラックスする場所」「外=勉強・仕事をする場所」と明確に区別することで、「家に帰るまでに終わらせないと!」という使命感のもと、外にいるときの作業効率や集中力が格段に向上するように感じられるからです。とは言いつつ、スマホとベッドの誘惑に勝てないのが最大の理由です。



 さて、本題に入ります。何について書こうか非常に悩んだ結果、もりもりーひょんによる好きな筋肉ランキングを発表するか、マルチリンガル(?)になるまでの生い立ちを語るか、の二択まで絞ることができました。一応初めてのブログなので、PLからもよく質問される後者について語っていこうと思います。好きな筋肉ランキングを待ち望んでいた皆さん、申し訳ないですが次回作にご期待ください。


・0〜3歳 in China

 爆誕したときからすでに英才教育は始まっていました。どういうことかと思われるかもしれませんが、よく見たら家族が全員バイリンガル以上だったんです。具体的には、祖父母が中韓のバイリンガル、日本で生活していた父と母が日韓中のトリリンガルです。とはいえ、3歳児に3ヶ国語で話しかけても理解できるわけがないので、中:韓=3:7くらいだったそうです。


・4〜6歳 in Japan

 せっかくなので日本の幼稚園に通ってみました。日本語に慣れるまでは、立ちはだかる言語の壁に泣きそうになりながらボディーランゲージでなんとか意思疎通していた記憶が微かにあります。5歳頃には日本語で最低限の日常会話ができるようなった一方、家でもなるべく日本語に囲まれた生活をしていた影響で中国語と韓国語をほとんど忘れました。そして、このあと両親も想定外の事態が訪れます。


・7〜9歳 in China

 本来は日本の小学校に通う予定でしたが、諸事情により帰国することになりました。中国で日本語を話す機会は一切ないので半年程度で日本語が怪しくなり、忘れた言語を取り戻すのも一苦労で中国語も韓国語もスムーズに出てこず、約一年間は奇跡のゼロリンガル生活をしていました。どの言語もまともに話せなかったので、思い出せる限りの3ヶ国語の単語を混ぜながらぎこちない会話をしていました。しかし、最終的には中国語でも韓国語でも日常会話ができるようになったので、ゼロリンガル→バイリンガルに昇格しました。


・10歳〜現在 in Japan

 もう日本語がほとんどむりぽなのにもかかわらず、何を血迷ったのか再び日本列島に上陸しました。また言語の壁に苦しめられるかと思いきや、日本語と韓国語が非常に似ているということを脳がようやく理解したため、約半年で日本語がペラペラになりました。さらに、中学校・高校を過ごしていく中で英語も学んでいき、クワドリンガル(4ヶ国語話者)の道が見え始めました。しかし、そんな希望も束の間、久しぶりに中国の家族とビデオ通話していたところ、中国語と韓国語(特に中国語ですが…)がかなり衰えていることに気づき、ちょっとだけ絶望しました。そして現在、日>韓>英=中で話せる謎リンガルの誕生に至ります。



 以上で、私がマルチリンガル(?)になった生い立ちの解説を終わります。いかがでしたでしょうか。言語は使わなくなった途端一気に衰えるので、皆さんもゼロリンガルにならないように気をつけてください!



 次は、34期の丁寧すぎる知識王、丁寧です。丁寧のエピソードで一番印象的なのは、自前の虫取り網を常に持ち歩き、気になる虫がいると捕獲していることですね。私は虫が大大大の苦手なので共感し難いですが、そうした知的好奇心は幼少期から持っていたんですか?博識になった経緯があれば教えて欲しいです。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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