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2024

#69 滝真拓

 あんちゃんさんから紹介に与りました、34期の丁寧です。


 僕は普段から結構音楽は聴くのですが、自分から好きな音楽を探すことはありません。そのため、普段聴いている音楽は友達がよく歌っていた歌やお父さんが車で流していた曲、音楽の授業で歌った歌、高校の学祭で縁があった曲といったものばかりです。それらが仕分けされたり並べられたりしてプレイリストに収まっています。


 さて、常々平凡な日常(諸説あり)を送っている僕にはブログというものに書くべき特段の出来事も思い浮かばないので、最近頭を悩ませた答えの出ない問いについて少し書いてみたいと思います。

 その問いとは、「何のために生きているのか」です。

 これまでもこの問いについて考えたことは何度もあるのですが、答えはいつも同じもので、「自らの遺伝子を次の世代に繋ぐため」でした。しかし、文明社会の中で生きる我々の行動にはどうも説明がつかないことが多くあります。大学に通うこと、本を読むこと、ラクロスをすること、虫を捕ること、美味しいものを食べること、これらは生存或いは生殖に必要でしょうか。日々行っていることで生存や生殖に直結することの方が寧ろ少ないという人も多いと思います。「何のために生きているのか」という問いを「日々の行動にどんな意味があるのか」という問いに落とし込んだ上で、これらの不可解な行動を説明するために素人なりに2つの仮説を立ててみたのでそれを紹介します。

 まず1つ目は、「精神的健康状態を維持するため」というものです。ヒトは他の動物と比べ大脳が圧倒的に発達しています。それこそが人類を繁栄に導いた要因なのですが、大きく発達しすぎたために不快やストレスを避け快楽を得ることにより多くのエネルギーを割かなければならなくなったのではないでしょうか。生存や生殖に直結せず快楽物質を分泌するためだけの行動を取るようになった結果が今の生活というわけです。

 2つ目は「元々種の存続のための欲求だったものを代替手段によって充足するようになった」です。例えば、ヒトは効率よくエネルギーを摂取するために消化しやすい形態の糖質を多く含む食物、即ち甘い食物を好むような本能を有していましたが、現在では空腹でなくともエネルギー摂取を目的とせず単に甘いものを求めて菓子などを食べることがあります。このような欲求を充たすための代替手段が不可解な行動として見えているということです。

 上の2つの仮説はどちらも正しいかもしれないしどちらも的外れかもしれません。正解を知る術もおそらく無いでしょう。それでもこういうことをグダグダ考えてみるのは楽しいものです。一体なんのためにこんなことを考えているのでしょうね。皆さんも気が向いたら考えてみてください。


 最後におまけで最近久々にやった鱗粉転写の写真を載せておきます。ツマグロヒョウモンのオスです。色鉛筆がなかったので胴体や花は白黒になっちゃいました。

 次は僕と同じく愛知県立明和高校出身のみそカツです。みそカツは答えの出ないテーマについて掘り下げてみたことはありますか?


WRITER:滝真拓
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