ゴンから紹介に預かりました、最近口元が落ち着かないフェルプスです。
彼がここまでコミュニケーションに頭使ってたとは意外です。確かに外から見てると新入生とのやり取りが上手い気がします。
ちなみに私は常に相手を認識する、聞くのが好きなタイプです。基本人とのやり取りでは頭使ってないというか反射的に返答する感じです。というか聞くのが楽だから。
さて、春が訪れると、京都の街には新しい風が吹き込みます。
桜が舞い散り、構内は新入生で賑わい、すべてが少しだけリセットされたかのような気分にさせてくれるようです。
でも、僕にとってこの春、自転車を乗る身にとっては戦場と化します。
自転車乗ってるときの自分についていろいろ書いてみます。
信号を渡るとき、毎回誰かに命を掴まれてる気持ちになります。
右折車、左折車、前方の車、後ろの車――それぞれが僕の進行方向を脅かしてくるようで。
青信号でも緊張はとけません。
特に恐ろしいのは、右折車と左折車の動きです。
交差点を渡ろうとした瞬間に、右から左折してくる車が急に向かってきて、心臓が跳ねる。
一度それで追突されたこともありました。
その瞬間、地面に倒れそうになりながらも、なんとか無傷で済みました。しばらく首が曲がらなくなりましたが。
でも、あのとき感じた恐怖は今でも忘れらません。
歩道で自転車を走行してるときどうしても道を開けてほしいときは、ベルを鳴らさずにペダルをガコンガコン音を立てます。
歩道をベル鳴らしながら自転車乗る人はどこかやばい人って印象が否めないので。
そもそも道路交通法第54条 で歩道でベル鳴らすのダメらしいです。法学部辞めましたがそこらへん遵守してます。
けどどうしても歩道で道開けてほしいときにこのペダルガコンガコンが使えるんですよね。
法律の範囲内で自分ができる最大の抵抗です。
これ外から見るとそれはそれでヤバい人なんじゃねと思ってますが、なんか心がすっきりするのでやってます。
ちなみにクロス持ってるときは控えてます。
一番嫌いなのは車道から歩道に入る段差ですね。毎回、あの段差を越える瞬間は命がけだと感じます。
最近はできるだけ角度つくって入るようにしてるので大丈夫ですが、以前は本当に10%くらいの確率でこけてました。
段差で跳ねてかごから荷物吹っ飛んで川端通を牛乳まみれにしてしまったのは僕です、ごめんなさい。
二年前の今頃、別団体の新歓に行く道中、この段差のせいで転んで足から大量出血したまま参加したのを今でも思い出します。
ていうかそもそもなんで自分が車道から歩道に入らなければならない状況に陥るかといいますと、元凶は京都の異常な路駐の数のせいですね。
京都の街って自転車の走行レーンを示すマリオカートの加速するやつみたいなのがあるじゃないですか。
あれが路駐で塞がれたら、車の右通るか歩道入るかしかないんですよ。どっち行ってもしんどいです。
自転車に乗るときは、常に警戒心を持って進むことが大事ですね。
春の風景と桜の花が美しく咲いている中、僕はその景色に酔いしれる暇もなく、次々と立ちはだかる障害物に対応しながら進んでいきます。
どんなに気をつけても、何かが突然僕の前に立ちふさがることもあります。
だから、心に余裕を持つことが重要だと、春になって気づきました。
チャリ乗ってるときの不満をここに書き連ねたらなんだかすっきりしました。
お次はまひろです。私は上記の通り車に追突されたことがあるのですか、まひろは何か命の危機を感じたことはありますか?